あいつ呼んでみる?と誘われたい

ほぼ日で、最近公開されたコンテンツ「青春って、もう終わっちゃうのかな?」(糸井さん編)を読みました。

このコンテンツは、ほぼ日でインターンをしていたマツザキくんが、糸井さんと話をしていくというものです。社会人歴4年目の自分が今読んでも面白かったので、GWのまとまった時期に読むのがオススメです(ちょっと長いので)。

その中で、「価値」についての話がありました。

物事の価値において、「役に立つか、立たないか」ということが、すごく重要だった時代が長かったんでしょうね。でもね、「役に立つ」ものは、もういま、世の中の倉庫にいくらでも在庫がありますよ。そこらじゅうで買えるしね。

人に関しても、昔は「役に立つこと」が「そこにいていいよ」って言われる理由だった。でもいまの時代は、「おまえ、役に立つかもしれないけど、その程度のことは誰にもできるから」って、「そこにいていい」理由じゃなくなった。

役立つ = 価値がある、というイコールの関係が崩れてきて、価値ってなんだろうね、という話から、糸井さんが次のように言います。

「その旅行にあいつを連れて行きたい」って思われることが、価値なんだよ。そうなると、役に立つ人よりも、もうちょっと面白そうな人を連れて行くわけでね。

この話は、SWITCHの「ほぼ糸井重里」の中で書かれていた、「信用」の話とつながりそうです。信用は、つくろうと思ってもすぐにつくることのできない、何か深いところにあるものなのだ、と。

こいつにはお金を貸したくないな、と思う人もいますよね。それは信用がないんです。信用の話って、魔術までも背景に持っているくらい大きい、重いものなんです。
— 信用農業論

つまり、「価値がある」ということは、人間で言うと、「信用たる人間である」ということなのではないか、と思うんです。

上の「その旅行にあいつを連れて行きたい」って思われる人は、この人だったら信用できそうだぞ(旅が楽しくなるぞ)、と思われているから誘われるはず。

自分は、そういう人になりたいなぁと思います。あとは、自分が呼ぶ立場だったときに呼んだその人に喜んでもらえるような人にもなりたいなぁ。

 

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Taichi Hirano